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弘法大師が残した宝物
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御影堂
御影堂
伝説の三鈷の松を前にして建つ宝形造りのこのお堂は、もとお大師様の持仏堂 でした。後に真如親王が描かれた大師御影をお祀りしたことから、御影堂と名 付けられました。堂内の外陣には十大弟子の肖像が大師の御影を守護するかの ように掲げられています。現在の建物は、1843年炎上後、1847年に再建された ものです。

高野山真言宗 総本山金剛峯寺

Tel/0736-56-2011 Fax/0736-56-4640


弘法大師 御廟

弘法大師 御廟

この弘法大師御廟は、大師信仰の中心で聖陵です。転軸、楊柳、摩尼の三山の 千年杉に周囲を囲まれ、奥深くおごそかなたたずまいを見せています。お大師 様は、835年3月21日寅の刻、御年62歳で、かねてからの予言通りにご入定なさ いました。玉川の清流に沿った台地に、ご入定前には、既に納涼坊、総修堂が 建立されており、お大師様自ら廟所と決められていたとも伝えられています。 この御廟で祈れば、お大師様は必ず応えて下さると言われており、入定留身の 聖地として今日なお廟前に祈りを捧げる参拝者は絶えません。

高野山真言宗 総本山金剛峯寺

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三鈷の松
三鈷の松
この松は、お大師様が唐より帰国される時、明州の浜より真言密集を広めるの にふさわしい場所を求めるため、日本へ向けて三鈷と呼ばれる法具を投げたと ころ、たちまち紫雲たなびき、雲に乗って日本に飛来したと言われ、後にお大 師様が高野山近辺を訪れたところ、狩人から夜な夜な光を放つ松があると聞 き、早速その松へ行ってみると、唐より投げた三鈷が引っかかっていて、お大 師様はこの地こそ密教を広めるのにふさわしい土地であると、決心したと言い 伝えられています。この松は、三鈷と同じ三葉の松で、聖木として現在も祀ら れています。

高野山真言宗 総本山金剛峯寺

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腰掛け石
腰掛け石
一の橋を渡って中ほど右手に「武田信玄公」の墓所がありますが、その前に腰 掛け石があります。 昔は「息処石」と書いて「腰掛け石」と読んだそうです。 お大師様が、ちょっと休憩にと、腰を掛けた石とであるという言い伝えがあります。

高野山真言宗 総本山金剛峯寺

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金剛峯寺
金剛峯寺
金剛峯寺は、元はお大師様の弟子・真然大徳のお住まいがあったところで1131 年10月17日に覺鑁上人(かくばんしょうにん)が鳥羽上皇の許を得て大伝法院(だ いでんぽういん)を建立され、その後、豊臣秀吉公が亡き母の菩提を弔うために 木食応其上人(もくじきおうごしょうにん)に命じて建立させた寺院で、その名 を青厳寺と呼び応其上人の住いとなりました。その後、再三の火災によって焼 失しましたが、現在の本殿は1863年に再建されました。1869年3月に青厳寺と 興山寺の2ヶ寺が統合され、さらに全国の真言宗寺院を総括する管長職が置か れました。現在は、奥の院祖廟を信仰の中心として結成された、高野山真言宗 三千余寺、信徒約1千万人の総本山として、高野山真言宗管長兼金剛峯寺座主 の住いとなっています。

※拝観料500円を記載

り ます。


燈籠堂
燈籠堂
燈籠堂はお大師様の弟子・真然大徳が初めて建立し、その後、藤原道長によっ て1023年に現在に近い大きさの燈籠堂が建立されました。堂内正面には、千年 近く燃え続けていると言われる二つの「消えずの火」があります。一つは、祈 親上人が献じた祈親灯。もう一つが、白河上皇が献じた白河灯です。この祈親 灯の事を、祈親上人のすすめで貧しい生活の中、自らの髪を切り売ってまで工 面したお金で、献灯したと伝わるお照の話に因んで貧女の一灯と呼ぶ説もあり ます。それにあわせて白河灯の事を、長者の万灯と呼び、貧女の一灯、長者の 万灯の伝説が残るお堂です。

高野山真言宗 総本山金剛峯寺

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奥の院
奥之院
高野山の信仰の中心であり、お大師様が御入定されている聖地です。正式には 一の橋から参拝します。一の橋から御廟まで約2キロメートルの道のりには、お およそ20万基を超える諸大名の墓石や、祈念碑、慰霊碑の数々が樹齢千年を超 える杉木立の中に立ち並んでいます。

高野山真言宗 総本山金剛峯寺

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根本大塔
根本大塔
お大師様とその弟子・真然大徳と二代を費やして816年から70年の歳月をかけて 完成したと伝えられています。お大師様は、この大塔を真言密教の根本道場に おけるシンボルとして建立されたので、根本大塔と呼んでいます。多宝塔様式 としては日本最初のものといわれ、本尊は胎蔵大日如来、周りには金剛界の四 仏が取り囲み、16本の柱には堂本印象画伯の筆による十六大菩薩、四隅の壁に は密教を伝えた八祖像が描かれ、堂内そのものが立体の曼荼羅として構成され ています。

高野山真言宗 総本山金剛峯寺

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壇上伽藍
壇上伽藍
壇上伽藍はお大師様が高野山をご開創された折、真っ先に整備へ着手した場所 です。壇上とは大日如来が鎮座する壇、または修行の道場を意味します。お大 師様が、大日如来を中心とした密教の教義や世界観を建造物や仏像、仏画に よって目に見える形で表現しようとしたのがこの伽藍なのです。壇上伽藍は高 野山真言宗発祥の地であり、現在も重要な儀式のほとんどは根本大塔や金堂で 行なわれています。

※拝観料(200円)を記載

高野山真言宗 総本山金剛峯寺

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金堂
金堂

高野山開創当時は講堂と呼ばれ、平安時代半ばから一山の総本堂として重要な 役割を果たしてきました。現在の建物は七度目の再建で、1932年に完成しまし た。入母屋造りで本尊は高村光雲作の薬師如来。内部の壁画は木村武山画伯の 筆。内陣の両側には、平清盛が自らの額を割った血で中尊を描かせた、通称 「血曼荼羅」の模写が掲げられています。

※拝観料(200円)を記載

高野山真言宗 総本山金剛峯寺

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蟠龍庭
蟠龍庭
1984年に弘法大師御入定1150年御遠忌大法会の際、新別殿と同様に造られまし た。左手奥に勅使門があり、その正面には奥殿があります。石庭としては我が 国最大の庭です。雲海の中で、雄雌一対の龍が向かい合い、金胎不二の相を表 し、本山奥殿を守護する龍の姿が表現されています。龍はお大師様ゆかりのご 生誕地、四国の青い花崗岩140個を使い、雲海には京都の白川砂が使われています。

高野山真言宗 総本山金剛峯寺

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一の橋
一の橋
この橋は、弘法大師御廟に向かう参道入口で最初に渡る橋なので、一の橋と言 われます。正式には大渡橋(おおばし)と言われ、昔から、お大師様が人々を、 ここまで送り迎えしてくれると言い伝えられ、今でも、この橋の前で合掌一礼してお参りします。

高野山真言宗 総本山金剛峯寺

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中の橋
中の橋
この橋は、一の橋と御廟橋(ごびょうばし)の中間にあるので、中の橋と言われます。正式には手水橋(ちょうずばし)と言われ、平安時代には、この場所で、身を清めていました。ここを流れる川は、昔から「金の河」と呼ばれ、金は死の隠語を表し、死の河、つまり「三途の川」を表しているそうで、この橋を渡ると、これから先は、死の世界に入ると言う意味になるようです。

高野山真言宗 総本山金剛峯寺

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御廟橋
御廟橋
この橋を渡ると弘法大師御廟への霊域に入ります。この橋を渡る人は、橋の前 で服装を正し、礼拝し、清らかな気持ちで霊域に足をふみ入れます。この橋 は、36枚の橋板と橋全体を1枚として37枚と数え、金剛界37尊を表していると言 われ、橋板の裏には、仏様のシンボルの梵字が刻まれています。この橋の上 で、あの苅萱道心と石童丸親子が初めてめぐり合ったとも伝えられています。 この橋は従来、木の橋でしたが、現在は原型通りの石橋に架け替えられています。

高野山真言宗 総本山金剛峯寺

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玉川
玉川
御廟橋の下を流れる川は、奥之院裏山、霊峰楊柳山・摩尼山・転軸山より流れ出る清水です。この川に住む小魚には昔、子供たちが魚を串に刺して焼いていたところ、お大師様が通りかかり、私にもその魚をいただけませんかと、子供たちから分けてもらい、魚の串を抜いて水から玉川に放したところ、焼かれた魚が、生き返って泳いだと言う伝説があり、今もその背中には、その時の串の跡と言われる斑点が見られます。

高野山真言宗 総本山金剛峯寺

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袈裟掛石
袈裟掛石
お大師様が袈裟を掛けられたと言われており、この石からは高野山の清浄結界となります。鞍のような形をしていることから「鞍掛石」、この石の下をくぐれば長生きするとも言い伝えられていることから「くぐり石」とも呼ばれています。

高野山真言宗 総本山金剛峯寺

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押上石
押上石
お大師様の母親が結界を乗越え女人禁制だった高野山に入山しようとしたとき、激しい雷雨が母親を襲いました。お大師様は この大磐石を押し上げ、母親をかくまったと言われています。五十四町石の先にあるその岩には今もお大師様の手形が残っているといわれています。

高野山真言宗 総本山金剛峯寺

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弘法大師 御衣干岩

弘法大師 御衣干岩

806年にお大師さまが中国より宝珠を持ち帰り、それを山頂にうずめられようと 山道へ来られた時、突然夕立に見舞われ、濡れた衣を岩に干されました。以 来、この付近の人々の中でお大師様御衣干岩として現在に言い伝えられていま す。その後、山頂に宝珠を埋められましたが、その山が長安の一山村の摩尼に あまりに似ていたので、摩尼山と名付けられました。 いつからかこの岩に触って願いを想いつつ御宝号を唱えると願いを一つだけ成 就してくださるとの言い伝えがあります。

野迫川の紹介
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荒神社

荒神社

荒神社は三宝荒神のひとつとも言われ、お大師様が高野山を開く前に建立した御勧請の霊と伝えられています。高野山開基に際し、伽藍繁栄のためにお大師様が神社を建立しようとしたところ、東の空に黒雲がたなびき、中から異形の夜叉神が現れ建立を妨げようとしました。お大師様が「汝は何者ぞ」と問うと夜叉神は「我は荒神ヶ岳に住む神なり」と答え「我をまつれば大願成就する」と言ったそうです。お大師様はさっそく木の板に三宝荒神の像を描いてまつり祈願しました。これが荒神社の始まり、高野山の伽藍も念願通り無事建立されました。お大師様は高野山開基の後も毎月、立里にある荒神社に参詣しており、お大師様亡き後も高野山の高僧たちが参詣していたと伝えられています。

野川弁財天

野川弁財天

高野山開創前にお大師様は大峯山から水の珠を持ち出して高野山に向かったところ、野川弁財天はその珠を取り返そうと追いかけましたが、取り返すことはできなかったと伝えられています。

高福寺乳薬師

高福寺乳薬師

御本尊の薬師如来はお大師様が一夜にして造ったものと言い伝えられています。また乳薬師ともいわれ、乳や耳の病に効くといわれています。

五條の紹介
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岩谷山安産不動

岩谷山安産不動

お大師様が一夜のうちに磨崖仏を刻もうとしたものの片方の足を彫り残したまま夜が明けたので、立ち去ったという伝説が残っています。

犬飼山轉法輪寺

犬飼山轉法輪寺

高野山開創前に狩場明神と出会い、二匹の犬に導かれて高野山へいたったと伝えられています。境内には犬飼大師塚、犬飼明神塚の両古墳(6世紀)もあります。

桜井戸

桜井戸

お大師様がおばあさんに水がほしいと伝えたところ、おばあさんは吉野川まで水を汲んで差し上げました。その親切にお大師様は錫杖で地を掘ったところから清水が湧き出たという伝説があります。

寄足山生蓮寺

寄足山生蓮寺

お大師様が高野山開創の時に立ち寄り、一尺八寸の小地蔵を彫って本尊胎内に祀りました。山号の寄足山は、お大師様が立ち寄られたことから「よらせ」といわれるようになりました。

音無川

音無川

お大師様が本を読んでいたら、吉野川のせせらぎがうるさいので、流れに石を投げ込み呪法を唱えた。せせらぎの音がぴたりとやみ、音を立てずに流れるようになったことが「音無川」の言われです。

弘法大師 御衣干岩

常覚寺

お大師様が開創したと伝えられ、古くから「ふげんさん」の名で親しまれています。本尊は普賢延命菩薩坐像(重文・秘仏)です。

天福寺の弁財天

天福寺の弁財天

お大師様が開創したと伝えられ、古くから「ふげんさん」の名で親しまれています。本尊は普賢延命菩薩坐像(重文・秘仏)です。

野原の最初墓・阿陀の大墓

野原の最初墓・阿陀の大墓

お大師様が大和の一郡毎に七墓所を加持されたといわれ野原の墓地はそれらの最初の墓だといわれています。また一番最後に総加持をされたのが大野原で、これは「阿陀の大墓」と言われています。

筆捨て岩

筆捨て岩

弘法大師がこの景勝を描こうとしましたが、岩石が水に逆らって動き、どうしてもうまく描けず、ついに筆を捨ててため息を漏らしたといういわれが伝わります。

天川の紹介
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弘法大師 御衣干岩

三鈷の松

大峯山で修業していたお大師様は千本の尾根と千本の谷がある場所を開山しようと考えていました。ある日、場所を探すため、仏具の三鈷を投げたところ、洞川の小泉川の辺りの松の木のてっぺんに落ちました。ところが当時そこには九百九十九の尾根と谷しかなく、あと一本足りなかったのだそうです。そこでもう一度投げると現在の高野山の奥之院に届いたと言われています。洞川では今でもその松があった辺りは三鈷の松と呼ばれています。

弘法大師 御衣干岩

音無しの淵

川の音がごうごうとうるさく昼寝が出来ないため、お大師様が一喝して音を止めたという話が伝えられています。

ビキ水

ビキ水

お大師様が修行中、カエル(ビキ)が産卵しようとしているが、水がないため「杖で穴を掘り、水を出した」と云われのある水です。

弘法大師 御衣干岩

衣池

お大師様が高野山から大峯に至る間に、この池で衣を洗ったことからこの名がついたといわれています。残念なことに、現在この場所は道路拡張工事により存在しない場所となっています。

塩野の古道

塩野の古道

大峯山で修行していたお大師様が水の珠を持ち出し、弁天様(天河弁財天)に追いつかれ、ここで水の珠を手放したとも伝えられています。

鏡石

鏡石

白石山の頂上近くに、岩の表面が磨かれているのではないかと思えるほどきれい石があります。お大師様との直接の伝承は伝わってないものの、何らかの関わりがあったと思わせる不思議な石です。

光流寺

光流寺

お大師様が白井谷の仏棚という岩穴で修業されたときに、梅の木で3体の仏像を彫られたといい、そのうち1体の阿弥陀如来が現在光流寺に祀られている本尊です。

弘法大師 御衣干岩

山田の井戸

喉が乾いたお大師様は、山田さんに水を所望したところ、川に汲みに行ったそうです。お礼に「私の杖の後を掘ってください」と杖を渡し、掘るとたちまち水が湧き出たという言い伝えが残ります。

弘法大師 御衣干岩

紫流の滝

お大師様が修行のために、山中に籠って修行したところから、この地域は「籠山」と名づけられたといわれています。この滝の落差は50mあります。

七尾山

七尾山

この山は別名蛇倉山(じゃのくらさん)ともいい、昭和24年に開山され、奥之院へは本殿横の金属製の錫杖沿いに急な階段を登っていけば約40分で到着します。聖宝理源大師が蟷螂の岩屋で打ちもうした雌の大蛇が隠れ棲んだ岩屋が蛇倉山の奥の院です。女性修験者の参詣登山が多いです。

大師の籠もり岩

大師の籠もり岩

谷が金山谷と高水谷に分かれているあたり、高水の水の噴き出し口がある100mほど上に大師の籠り岩という岩があります。

滝尾の木村井戸

滝尾の木村井戸

水汲みに苦労していた宿屋の木村さんに水を所望したお大師様はお礼に杖を渡し「杖の後を掘ってください」と言われ、掘るとたちまち水が湧き出て今でも涸れることなく水が湧いています。

天河大辯財天社

天河大辯財天社

大峯本宮あるいは吉野総社として、大峯修験の要の行場とされ、とくにお大師様の参籠後は、大峯参り、高野詣と併せて多くの人々が訪れるところとなりました。

白井谷の仏棚

白井谷の仏棚

紫流滝の上の方に仏棚と呼ばれる岩穴があります。ここは、お大師様が一時期この岩穴にこもって修行し、3体の仏像を刻んだと伝えられています。

不動滝

不動滝

天ノ川に落下するこの滝の谷をさかのぼると、岩穴の中にお大師様が彫ったと伝わる仏像の形をした自然石があることから『お不動さん』と呼ばれ、滝の名も『不動滝』となったといわれています。

菩提樹

菩提樹

お大師様の杖を地面に突き立てたところが根付き生長したのが『菩提樹』だといわれています。また、お大師様の数珠が落ちて、そこから芽が出てきて『菩提樹』になったとも言われています。

来迎院

来迎院

来迎院は天河大辯財天社の形成する七堂伽藍の塔中の一つでありました。境内の銀杏の木はお大師様がお手植えとされており、昭和52年に天然記念物にも指定されています。

龍泉寺

龍泉寺

真言宗醍醐派大本山のお寺で、大峯山寺の護持院の一院です。役行者が泉の辺に八大龍王尊をお祀りして、水行をしたのが、龍泉寺の始まりであると伝えらています。

六坊

六坊

お大師様が庵を結んでいいたといわれる場所で、庵住の光流寺から紫流の滝へ向かう道に向かう途中にあったと云われ、その名の通り、6つのお坊(寺)があったと云われています。

黒滝の紹介
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地蔵堂

地蔵堂

お大師様が日本・朝鮮・中国の三国の土を集めて地蔵像をつくり祀ったのが始まりで、もとは鳳閣寺の別院だったと言われています。

鳳閣寺

鳳閣寺

役行者が勅命により、国家安泰を祈願する道場として開山し、お大師様のゆかりを説き、895年に聖宝理源大師によって建立されたと伝わります。毎年6月に醍醐寺から僧侶が護摩焚きを行います。

妙見神社

妙見神社

黒滝の妙見神社は、最初に弘法大師によって建てられたと言われています。本尊は妙見菩薩で、明治時代の神仏習合で神社になりました。

粟飯谷の道標

粟飯谷の道標

道標には、高野山や大峯山上道の表記があり、高野山との関わりを示しています。

百貝ケ岳・理源大師廟塔・箱屋勘兵衛の墓

百貝ケ岳・理源大師廟塔・箱屋勘兵衛の墓

理源大師が箱屋勘兵衛を伴い大蛇を退治した。その時、大法螺貝を吹き祈祷したが、その音が百の法螺貝を一時に吹き鳴らしたようであったことから百貝ケ岳と呼ばれるようになりました。

吉野の紹介
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大師山寺

大師山寺

妙法寺上市の断崖を登ったところを大師山と言い、その中腹にはお大師様を祭ったお堂が建っています。眼下に吉野川が見下ろされ、吉野の山々が見渡されます。

竹林院

竹林院

弘法大師大峯登拝に際して、ここに留まり一宇を立て椿山寺と号したのに創まると言われています。本尊は不動明王、蔵王権現、役行者、弘法大師です。

龍泉寺

龍泉寺

伊勢本街道沿い、国栖の里にある、高野山真言宗の増長院の末寺です。本尊の大日如来坐像は、厨子に入っており、毎年4月21日(旧3月21日)に開帳されます。

菅生寺

菅生寺

元々龍門寺の子院となる龍華院の後身といわれ、真言宗の古寺。弘法大師像や不動三尊像が祀られ、金峯山曼荼羅を木彫で表したものがあります。本堂の向かって左方には大師堂があります。

柳の渡し

柳の渡し

柳の渡しは、聖宝・理源大師が開いたと言われています。修験道「奥駆け」の最初の行場として知られ、かつて吉野・大峯に入る行者たちはここで身を清めていきました。吉野川の三渡津の一つです。

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