“役行者が大峯山を開いて200年ほど後、山中に大蛇が棲み、村人や参詣人に危害を加えたので山が荒廃しました。天皇の勅命を受けた理源大師が箱屋勘兵衛を伴い、法力により大蛇を退治しました。その時、大法螺貝(ほらがい)を吹き祈祷したが、その音は百の法螺貝を一時に吹き鳴らしたようであったと言われ、百貝ケ岳と呼ばれるようになりました。その後、大峯修験道は復興したとされています。
なお、箱屋勘兵衛が奈良から鳳閣寺の理源大師を訪ねる度に、大師好物の餅飯等を持参したので、大師は勘兵衛を『餅飯殿』(もちいひどの)と呼ばれ、勘兵衛の居住地の奈良の餅飯殿町はそこから付けられたと言われています。”
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- 奈良県吉野郡黒滝村鳥住