母公堂 堂守 青木 健一さん
天川村洞川生まれ。元郵便局員。地元の人たちからは「健ぼうにぃ」と呼ばれ、慕われている。母公堂は、昔は大峯山の戸開式から戸閉式(5/3〜9/23)までしか開いてなかったが、紅葉の季節にもお客さんが訪れることから、11月のもみじまつりまでの土日も開けるようにしたという。
母公堂(ははこどう)は、修験道を開いた役行者が大峯山山上ヶ岳で修行していた時、母親が心配して葛城山の麓の茅原(現在の御所市)から洞川の蛇ケ谷まで会いにきたため、これ以上心配して追いかけてこないようにと庵を開いたことに始まる。
このお堂を守るのは、地元に住む青木健一さん。今年で7年目を迎えた。参拝客が来ると、「まぁ、コーヒーでも飲んでいきなさいよ」と、手作りの「かきもち」と一緒に出してくれる。またお堂前のテーブルでおにぎりを食べている人には、お味噌汁をそっと出して、参拝客をもてなす。
「神仏が宿るお堂へお参りにこられたんだから、ちょっとでも長いことおっもらってご利益いただいて帰ってもらえたらと思って、始めたんです」と青木さん。最初の年は、コーヒーカップを2000個用意したものの足らず、翌年からは2倍
以上の5000個を用意した。かきもちは、いまも毎年1月の寒の季節に、ご夫婦でせっせせっせと作って準備する。そんなかきもちは、ほんのり甘く香ばしく、意外にもコーヒーとよく合う。
元郵便局の局員の青木さんは、「長いこと窓口業務をさせてもらってたから、人と話するのは楽しくて仕方ない」と話す。子宝に恵まれ6人の子どもを育てるために、休日は大峯山への道案内もした。1000回以上のぼった経験は、参拝客にとって貴重な話だ。そのほかにも洞川の歴史や昔話をはじめ、修験道など、いろんな話が飛び出してきて、どれほど時間があっても足りない。
しかし昨年の年末、肺気腫を患い、酸素が必要になった青木さん。2回目の任期満了となる3月、堂守を卒業しようと思っていたが、後継者が見つからず、体調も安定したことから、再びお堂の受付に座った。
「多くの人との出会いに元気になる。毎年来られる顔なじみの方もたくさん増えた。
その方たちとの再会を楽しみに、がんばっていけたら」と。
お話を聞いている間にも、青木さんを訪ねて来る人が跡をたたない。
青木さんの笑顔とお話は、きっといろんな人たちの心のビタミンになっているんだろうなぁと思った瞬間だった。