「大塔坪杓子」職人 新子 光さん
1986年、旧大塔村(五條市大塔町)生まれ。
高校を卒業後、「伝統を残したい」と坪杓子職人の祖父に弟子入り。
杓子づくりを学び、現在、唯一の「大塔坪杓子」の職人として、作品づくりに取り組む。
「坪杓子制作技術」は、2012年1月、国の「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」に指定されている。
国道168号線の大塔町宇井から細い山道に入ること約30分。山深い急斜面に惣谷地区がある。ここで150年以上前から伝わる「坪杓子」をつくる職人、新子光さんは、今日も4畳半の作業場で黙々と制作に励む。「戦前まではこのあたり一帯で坪杓子がつくられていたと言われますが、いつのまにかここ1軒となってしまい、祖父が最後の職人と言われていました」と光さん。幼い頃から祖父、新子薫さんの姿を見て育った光さんは、何とか、この技術を残したいと、高校卒業後、弟子入りした。
素材となる栗の木は、水に強くて乾燥させると軽い。使うほどに黒光りして深い色合いになり、一生ものである。奈良の郷土食「茶粥」や汁物をすくう道具として必需品だった。型は何1つ使わず、熟練された職人の手が独特な道具を使いながら、つくりあげていく。「技術を教わったというより、祖父がつくる姿を見て学んだといった方が正解かな」。坪杓子の特徴であるくぼみの厚さは、手の感触だけがものをいう。鉈で仕入れた木を割った後、型どりをしてからカンナで半球部分に丸みをつけ、中打ちと呼ばれる鍬のミニ版のような独特な道具で削り取る。1日、作業をしても出来上がるのは7、8本だという。
弟子入りして7年、祖父が体調を崩して引退してからは、1人で坪杓子をつくるが、「自分の中に理想の形がある」と、納得しなければ、たとえ出来上がっていても世の中に出ることはない。使う側の使い勝手を求めながらも伝統工芸品としての歴史の重さ、温かみのある1本を目指す。ここ1年、ようやく商品として販売するようになってきた。「祖父が作り出した最高の出来の杓子を探すのですが、祖父はさらに良いものを求めてつくってきたから、手元に作品は残っていないんです。これで完成と思ったら、そこで終わってしまうんでしょうね」と光さん。10人いたら10人が違う坪杓子を求めるように、完成形のゴールはない。「おまえがええと思うものをつくったらいい」。祖父の言葉が光さんの作品づくりを支える。伝統を重んじながらも、現在(いま)の生活になじむ形を追い求める光さんのリズミカルに木を削る音が静寂な深山に響き渡った。